年齢の呪縛

小学生の頃から勉強はあまり得意じゃなかった。足し算まではできたけど、掛け算になると難しいから、暗記も最後までできなかったと思う。

逆上がりもできなかったし、もちろん倒立も最後までできなかったと思う。どんくさいうえにどんなに練習しても音楽会であこがれの木琴を担当することはできなかった。みんなの学校のあこがれの楽器はなんだった?教えてね

美術もへたくそで、図工も技術もだめ。

歴史の年号も、理科の暗記もできなかった。

それでも、先生から問題児として取り扱われたことがなかった(実は扱われてたのかも)のはきっと、通知表で唯一二重丸がついていた「誰とでも分け隔てなく仲良くできる」のお陰だと思う。

「誰とでも分け隔てなく仲良くできる」のは生まれつきの性分だったらしく、今でもその性分は変わらず、そのせいか年齢を超えた友人も多くなった。

中でも、今年33歳になる友人がいる。彼女も恋愛こじらせ仲間で、婚活の日々を重ねてはうまくいかないことを一緒に嘆いている。いつか尼寺に一緒に入ることになると思っている。

誕生日は一緒に遊ぼう、なんて話をしていたはいいものの、彼女の33歳になってしまうという呪縛は、話していて強く感じた。

会話の中でも、「30にもなってなにやってるんだ」「こんなはずじゃなかった」「みっともない」「イムリミット」と自分では笑いながら自虐的に言う。

わたしも少し前まではそうだった。人に言われて傷つくのも、傷つけられるのも嫌だったから、さも気にしていないかのようにわらっていた。だから、気持ちわかる。でもわたしもわらってしまう。どうするのが正解かもわからない。

そんな時にわたしが言われてハッとした友人の言葉がある。その友人は、絶対にいじられないタイプの人間で、人のことはいじるけど、自分は絶対いじられない。まじでずるいね。と笑うと彼はこういった。

「いじられても笑わないからね、俺。だからお前も嫌だったら笑わなくていいと思うよ」

この言葉にすごく救われた気がした。

友人にいじられるのは、いやではなかったし楽しいコミュニケーションの一環だと思っていた。

ただ、合コンなんかで即座におもしろ女を見破られていじられるのは、あまりいい気がしなかった。男の人は、おもしろい女とは付き合いたくないのは知っているから。その場では面白がれるかもしれないけれど、おもしろ女でいてもその後に繋がるわたしの欲しいものが手に入ったことはなかった。

だからその場で無理してわらうのをやめたら、いじられることもなくなったし、だから合コンでの勝率が上がったかと言われれば、それは皆さんご存知の通りかとも思うけど、それでも合コンの帰り道でひっそりと落ち込むことは減った。自分のことがすこしだけ好きになれた気がした。

33歳で彼氏がいなくても、恋愛を拗らせていても、あなたのことを大好きな人がいること、伝わればいいなと心の底から思う。お誕生日おめでとう。