みんなの世界

皆さん耳に胼胝ができるくらい(打ったら出てきたんだけどこれでたこって読むらしい)聞いたかと思いますが、聞いてくれてるとうれしいですが、わたしは福祉の仕事をしてます。

だからか、虐待や障害者雇用、差別なんかには人一倍敏感である自覚も、敏感でなくてはならないとも思っております。

そんなわたしが改めて、できるだけわかりやすくふくしってなんだろうって話したいと思います。

聞いてくれればもちろんうれしいし、わたしの頭の整理になればもっといいなとも思います。

 

まずふくしとは、しあわせゆたかさを表すことばです。

よく、わかりやすく伝えるためだんのらしのあわせなんて伝えることも多いです。

ごはんを食べて、お風呂に入って、お布団で寝る。

当たり前に安心できる家があって、居心地のよい人間関係が築けていること、当たり前に人間としての権利(=人権)を享受できること。

福祉って難しいとか、自分には関係ないとかよく思われる方多いと思います。

福祉=介護という方も多くて「福祉系の仕事?ああ、介護士」なんて言われることもしばしば。

なので、福祉ということを言うと「なんか大変そう」「困ってる人向けの」「高齢者でしょ?」「自分に関係ない」という方がとても多いような気がします。

ただ、わたしが福祉の仕事をしていて思うのは、ほんとうに明日は我が身だということ。

明日突然自分が、家族が、恋人が、友人が車に轢かれて半身麻痺になれば、もうそこから、あなたやあなたの大切な人は皆さんが言う「福祉の必要な人」です。

そうでなくても、長寿社会ニッポンで生きていく以上、70歳、80歳になっても生きていることも珍しくないです。70年も80年も同じ身体を使っていれば、足腰が立たなくなることもあるし、トイレだってできなくなるかもしれない。そしたら「福祉の必要な人」です。

コロナ渦の中で明日失業して、家もなくなるかもしれない。それももちろん「福祉の必要な人」です。

わたしたちは本当に危ういピアノ線一本の上に立っていて、いつでもそっち側(=福祉の必要な人)に行くことがあります。

それは、本人の意思でも、努力不足でもなくたまたまだったり、何かのせいにするとしたら環境のせいだったりすることが殆どではないでしょうか。

今の社会では、いい意味でも悪い意味でも、自己責任と言われます。

でも、ふとした拍子にあっち側に行ってしまったら?同じように自己責任という呪いを自身にもかけるのでしょうか?

そうなってしまったら、自分で助けて!ということも言えなくなってしまい、自分で自分を助けることもできなくなってしまいます。

他人に呪いをかけることは、自分に呪いをかけることにもなると思います。

明日から突然福祉の気持ちを持てとか、募金をしろとか、障害者に優しくしろって言っているわけではないんです。

ただ、興味を持ってください。関心を向けてください。どんなことが大変で、どんなことに困っているのか知ってください。

そして、自分自身が困っていることも発信して、他の人から受信した困っていることを自分にできる範囲で助けてあげてください。

他人ごと」を少しずつ「自分ごと」にしていけるようになれば、きっと社会全体もやさしくなるんじゃないかな。

色々と言いましたが、ふくしって、みんなが暮らしやすい世の中の事だと思います。

そのみんなは、仕事や身分、障害の有無や年齢、性別、肌の色や目の色、性的趣向も関係なく、日本に暮らす126,180,643人全員です。

もちろんこの記事を読んでくれているあなたもそうだよ。

あなたには幸せになる権利があるんだよ。

みんなが暮らしやすく、だんのらしのあわせを送ることが、ふくしの目標で、意味だと思っています。

きっときれいごとだとか、思う人もいると思います。みんなが暮らしやすい世の中なんて無理だと。

でも、世の中は確実に変わっています。昔なら見向きもされなかった、もみ消されていたいじめや、地下牢に閉じ込められていた障害者たちが問題視されました。

他にも、LGBT不妊症を題材にしたドラマが放映されたり、駅のバリアフリー化が進んでいます。みなさんの力で、みんなを指す範囲はとても広くなっています。

それは、ドラマの作成者や、駅を作る人、建築会社の人、いろんな人がみんなを知ったからだと思っています。

少しずつですが、着実に、世界は変わっていると思います。

もちろん人間には汚い部分もあるし、悲しい思いをすることもある。けれど、きれいごとを目指していくことって、とっても大切だとわたしは思います。

だから、みんながいることを、みんなで知っていこうね。