倫理観について
わたしは比較的倫理感のあまりない人間だと自分でも思っている。
この記事を書くにあたって、倫理観とは何を指すのか調べた。
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概ね自分が想像している言葉であっていた。よかった。倫理観がないという表現があっているのかはいまいちわからないけど、善悪の判断がいまいちふつうとは違うと思う。
自分がやるかどうかは別としても、全ての事に理由があれば、世間一般的に悪いことだとしても、仕方なくない?うぉうぉ?悪いことって何?
人を殺したとしても、その人に心を殺されていたのだとしたら、悪いとかどうこうじゃなく仕方なくない?それを測る機械はないんだけど。
物を盗むことも、死ぬほどおなかが減っていて、目のまえに美味しそうなピザが出てきたら盗んでしまっても仕方ないかもしれない。
めちゃくちゃ愛している恋人がいたとしても、菅田将暉に壁ドンされたら、まんまと身体を許してしまうかもしれない。
わたしが福祉を学んでいた時に一番しっくりきた考え方の一つとして、「状況のなかのひと(person in the situation)」という考え方。
ざっくりいうと、それまでの医学モデル(本人の病気や障害を治していく)という考えではなく、その人の病気や障害が問題であるのは環境が原因であると考え、環境に視点を当てた考え方で、環境因子に着目する。
わたしはがっつりその考えに影響されていて、というか一番しっくりきたので、この考え方を推していますし、その考え方が強いと思います。
なので、倫理観的にはぶっ壊れている方で、元彼に前科があっても別に気にしなかったし、友人が不倫をしていても止めることはないです。
だってそういう環境に身を置かざるを得なくて、それしか生き抜く術がなかったなら仕方ないじゃない。
その人を責めたところで、その環境が変わらないと、何度でも繰り返すと思います。本人の忍耐力とか倫理観の問題じゃないでしょ。そういう環境に身を置いてしまったこと、置く羽目になったことに目を向けなければいけないと思う。
だからこそ、逆に浮気や不倫をする人は一生直らないよ、とか一度犯罪を犯したやつは一生クズだとかいうけど、そんなことは思わなくて、同じ罪を何度もするのはたまたま再犯しやすい環境に身を置いているから。
不倫も、一度許してくれた女の元にいたら、治ることはない。不倫は一生治らないというけど、それは本人の問題もあるかもしれないけれど、許してくれる女がいるという状態が変わらなければきっと一生治らない。
変わらなければ不幸なのは相手じゃなくて自分だ。
みんな菅田将暉に壁ドンされればチューしちゃうし、新垣結衣に誘われればセックスしてしまう。大切な人や失いたくないものがあるのだとしたら、そのような状況をまず作り出さない、自分の弱さを理解して生きていこうと思う。