自己肯定感

会社の健康診断の時期だ。

体の健康と同時に、メンタルチェックも行われる。福祉の仕事をしており、さんざん勉強したせいか、どう答えたらメンタルチェックに引っかからないかがなんとなくわかる。メンタルチェック、ザラすぎて、きっと福祉や心理の勉強をしていない人でも低くも高くもできると思う。

まあそれでも、実際自分がストレスを感じているのにストレスチェックを低くしたところで、何も自分に得はない。ストレスチェックで高ストレスと出て怒られるような会社なら、それこそいる価値も意味もない。速攻やめてやる。

そんな話を会社の先輩としていたら、ふと去年のメンタルチェックの結果が出てきた。結果は高ストレス。かなりストレスが高い状態だったらしい。その当時は、相談したところで変わりっこない…なんて思って何も相談もしなかったが、逆に今の環境を思ってみれば、めちゃくちゃストレス状態にあったと思う。

仕事は覚えられないうえに高圧的な上司「わからないことは聞いてね」と言われながらも聞けるはずのない職場。毎日が針の筵で、職場で心安らぐことなどなかった。

ひとつミスをすれば「確認が甘い」から始まり、人間性、育成歴にまで言われることも多くあった。

そんな去年の自己肯定感は本当に地の底まで落ちていて、わたしは何をしてもダメな人間で、毎日毎日仕事に行くのも、生きているのも嫌だった。

なんで生きて、なんで仕事をしているのかもわからなくて、恋愛もうまくいかなくて、セフレに依存して、毎日死にたいとばっかり思っていた気がする。

そんな当時に死にたい思いを吐き出すために始めたのがTwitterだった。

ありがたいことに仕事で死にたいツイートにいいねが付けば生きててよかったと思えるほどに疲弊した毎日だったかもしれない。

今ではミスをしても笑って許される環境(ミスと言っても本当に小さな入力ミスなんかだ)に身を置いて、なおかつ自分でも自分を好きになれるように努力ができる。どんどん自己肯定感が右肩上がりを見せている。

「わたしは生まれつき自己肯定感が低いから仕方ない」「親に褒められた経験がないから自己肯定感が低い」「自己肯定感が高くなるならとっくになってる」そんな風に言う人も多い。

わたしはすぐに昔あったことをすぐ忘れてしまうタイプのシンプルなバカなので「前はこんな風に言っていたよ」なんてよく言われるくらいに、今では自己肯定感が低かった日々にどんなことを思っていたのかをぼんやりとしか思い出せないくらいだが、自己肯定感が低かったという事実は覚えている。

自己肯定感が低いととにかく負のループだ。仕事で失敗して、自己肯定感が下がって、恋愛や友人関係でなんとか持ち直そうとして寄りかかりすぎてうまくいかなくなって落ち込んで、自分の価値がどうなのかわからなくなって、病んで寝不足になったりご飯が食べられなくなったりして、また仕事でもミスをして…とうループを繰り返していく。

逆に今はどうだろう。仕事は楽しいしうまくいっている。自分が仕事ができるようになったというわけでは決してないが周りの環境が兎に角良い。仕事が出来なくて注意されることはもちろんあるけれど、人格や育成歴まで遡ってねちねちと言われることはない。

去年は、平日が毎日我慢の連続だったから、週末や仕事が終わった後の時間は、何とか別の事で気を紛らわせたくて、誰かしらと連絡を取り続けていないと嫌だったり、週末は何かしらの予定が入ってないと辛かった。

今となっては、別に週末に予定がなくても、自分のことをしたり、だらだらしても苦に思わなかったり、本当に大事な人にだけ時間を使えるようになったと思う。

その分自分の中にあった「誰でもいい」という感情が抜け落ちたことで「自分と過ごすために時間やお金を使ってくれている」という前提のもとで人と関わるようになったら、相手を尊重できるようになって、対等でいい関係を築けるようになったと思う。

今の人生は、確かに彼氏はいないし、年下くんのことを時々思い出して古傷がじゅくじゅくと痛むことはあるけれど、概ね元気だし平和だし幸せだ。

だから今しんどい思いをしている人も、いつか来る春に向けて無理せず温存しながら耐えてほしい。もちろん、自分の力で抜けださないといけないこともあるかもしれない。けど、あけない冬はないよ。