多様性

小学生で深く記憶に残っているのは、お祭りで友達とけんかして、小学生の足ではとても遠い帰路を一人帰る途中に橋の下で見たホームレスの姿。

父親や祖母は偏見が強く、差別的な人だった。

障がい者やホームレスをみて「社会の荷物」とか「みっともない」「気持ち悪い」と吐くたびに、子ども心に血のつながりを後悔した。

祖母のことも父親のことも嫌いではなかったけど、そういう言葉を平気で吐ける感性は勿体ないと思っていました。

ほかのきょうだいや母はわたしと違ってそういう時にわらってごまかすのが昔からうまくて「その心の方がよっぽどみっともないけどね」とかぼそりと言ってしまうわたしはやっぱりどうしても父親との馬が合わなかった。

からだと理解力(頭)のギャップがある、得意不得意に凸凹がある、手足が少ない、多い、同性が好き、男の子のピンク好き、揚げだせばキリがなくて。

そもそも普通って何?わたしには手足が2本ずつあって、鼻も口も目もあるし、勉強はできないけど年齢と理解力のギャップがそこまで広いわけではない。

性的嗜好も”ノーマル”(マゾ気質で貞操観念はぶっ壊れてる)だけど、それは誇れることでもないし、それを理由に”ノーマル”でない人を叩ける理由にはならない。

手足があることはえらくもないし、ないからえらくないわけじゃない。もちろん手足があるからない人を叩いていいわけじゃない。

 

学生の頃「居場所づくり」をテーマとしてレポートを書いている時に、教授に言われた。

「わたしは、居場所がないって感じてる人も、いていいんだよって、そういう居場所を作りたい」

「いていいんだよって、何様だよ。いるんだよ」

言われた時に、はっとした。わたしも父親と、祖母と一緒だった。あの人たちとはちがうと思っていたのに。

父親や祖母のように叩いたりしないけど、あきらかに特別視して、下に見ていた。

それは叩いているのと一緒だ。

正直自分には偏見なんてないと思っていた。思いあがっていた。自分は公平に他人を見れる人間だと、思いあがっていました。

 

こんな話を聞きました。

偏見はサングラス。サングラスを外すことはできないけど、サングラスをしていることにまず気づいて、極力色の薄いサングラスに変えることは自分でできる。それは努力次第だって。

”多様性を認めよう”なんて思い上がりも甚だしいね