やさしいということ

昔から、どうにもならないことをうじうじと考えるのがすきでした。

というのも、人よりもすこし、マイノリティに触れる機会が多かったように思います。

小学校の頃の初恋(?)は、ピンクが大好きなかわいらしい男の子だったし(りゅうちぇるを初めて見た時はその子かと思った)、中学からの女友達は、母親にほうきで殴られた跡がいまだにほっぺに残っていて高校時代、いつも一緒の友達はそれぞれ発達障がいと精神障がいのハッピーセットだった。

それ以外の友達も、20歳以上年の離れた妹がいたり、親が障がい者だったり。クレヨンしんちゃんサザエさんドラえもんでは想像のつかないような家庭環境の子が八割でした。

当のわたしというと、三人きょうだいの真ん中に生まれて、上とは仲が良く、下を猫かわいがりして、子供の頃は元ヤンの父親を怒らせて、庭に放りだされたり、包丁を突き付けられたりすることもありましたが、とりあえず親はふたりいるし、わたしの身体には手足もそれぞれ2本ずつ、目も鼻も口もひとつないしふたつずつあるので、だいたい橋本環奈かなと思っています。

基本的にモラルが無くて、スイカの種を飲み込むくらいめんどくさがりで無気力な人間なくせに、政治のこと、ジェンダーのこと、社会システムのことを考え出すときりがなくて、考えや口だけは一丁前で、tinderで出会った男を煽りまくるのにハマったこともあります。サイテー。

そんなわたしですが、よく「やさしい」とか「器が広い」「性格いい」とほめられることがあります。(ツイッターアカウント12個もあるのにね)たぶん顔がお人よし顔なのもあると思います。おばあちゃんとかに好かれるかんじ。

ただ、中学からの友人には「あなたは優しくもないし器も広くないし性格もよくないよ」と言われるので、たぶんそれが正解かな。

なんでわたしが「やさしい」と称されるのかはわからないけど、たぶんわたしのやさしさは無責任さからくるやさしさです。

わたしは基本的に友人が不倫しても自殺しても親と絶縁しても何も言わないです。共感して、否定しないで話を聞くだけです。基本のスタンスは「あなたの選択でしょ?わたしの人生には関係ないもん」という無責任さ。

「その気持ちわかるかも」「さすがに全部はわかんないけど、似たような経験わたしもあるし」「決めるのはあなただしね、でも決めるのつらいよね、わかるよ」口先から出る無責任な言葉の数々が「やさしさ」なのかわたしにはわかりません。