「苗字が変わりました」

職場の先輩が結婚をしたらしい。

おばさんたちの風のうわさで、彼女がいることも知っていたし、30過ぎた先輩だったので、おお、タイミングか。とも思った。

わたしが結婚について話し始めるとだいたい友人たちはそろいもそろって「また始まったよ」という顔をする。今回はそういう話じゃないので安心してほしい。

 

「新社会人さん、私事で大変恐縮なんですけれど、入籍を致しまして」

「おめでとうございます!」

「苗字が変わりました」

「ん?!」

 

驚いた自分に驚いた。これだけ多様性とか、夫婦別性とか、男女平等とか、色々なことに口を出しておいて、一瞬でも、先輩(男)の苗字が変わることに違和感を覚えたのだ。

何よりも自分の見えない偏見に一番驚いたのだ。

夫婦別性も、何もかもそれぞれ当人たちの問題だ。

当人同士で決めたことであって、他人が口出しすることでも、ジャッジすることでも全くないのに、驚いてしまった自分に驚いている。

きっとわたしは気づかないうちにもっとたくさんのものに対しての偏見を持っていて、偏った見方で生きている。

それは、どんなに勉強しても、どんな生活を送ってきたかで人それぞれ違うのだから、仕方のないことなのだとおもう。

ただ、自分は偏見があるということを理解し、生きていくことはできる。

気づけてよかった。

次男の人の苗字が変わっても、きっとわたしは驚かずに、心の底から祝福できるはずだ。

無理オブザイヤー2020

無理オブザイヤー2020受賞者としては無理ほんとうに無理

昨日の色ボケブログで書いたように、HP回復ポイント男となんとなく気まずくなってここ一週間くらい(そんなに経ってもいない)連絡を取ってなかった。

というのも、またよくわからない恋愛コラムに触発されて、好きにさせるには押して引くの引くが肝心だとかで、駆け引きとやらに手を出してみた。

いつも恋愛になると感情ばかりで暴走してしまうわたしは、感情を抑えて我慢する練習になればいいとも思っていた。

普段からあまりライン連絡もしないタイプだったので、彼とのライン画面は殆ど着信履歴ばかりが残る。

何度も電話してしまおうかとライン画面を開いては閉じて開いては閉じる。

繰り返している。完全に好きじゃん。

思いつつ、我ながら変わり身の早さにあきれてしまう。本当に構ってくれれば誰もいいんだと思う。

でも本当に付き合い自体は長いけれど、明らかに幸せになれない未来が丸見えな男を好きになること、正直数えるほどしか会ったことない。

てか会ったことあった?会ったとしても大昔すぎて記憶がめちゃくちゃあやふやだ。正直顔もいまいち覚えてない。

というかいつもいつもこの人の思わせぶりな態度に振り回されてこの10年の間に何度も恋に落ちてる(このフレーズ気に入った)

4年ぶり3回目の恋です。甲子園出場記録かよ。

高校球児は涙を呑んで甲子園中止になったのにわたしはのんきに恋をしていいのか。 

年貢の納め時なのかもしれないと思ったり、そもそも昔から酔っぱらったときやゲームがひと段落したときにしか電話をかけてこない男のどこを好きになるんだとか、あの人のこと何も知らないなとか、本当にお前は構ってさえくれれば誰でもいいんだなと思ったり、遠距離は嫌だ結婚したいだとか、色々と考えては消える。

いやすぎる。まじで勘弁。

何度も電話しようかと携帯に手を伸ばし掛ける布団の中で、有川浩塩の街という小説のせりふを反芻していた。

だってあたし、秋庭さん名前も知らないのに!

この小説は世界の危機にたまたま知り合った男女が一緒に暮らすうちに恋に落ちる話。片方はふつうの女子高生、もう片方は世界を救う力がある人。

男の子は女の子を守るために世界を救う。そのためには命がけで戦わなくちゃいけなくて、女の子はそれを止めるために必死だった。大事な人がいなくなるくらいなら世界なんてなくなってもいい。

イレギュラーな世界で出会ったから、好きな食べ物、許せないこと、くせ、におい、性格は知っていても、どんな人生を送ってきた人で、どんな恋をしてきたかなんて、知る由もなかった。

まあわたしも彼も世界は救わないし、確かにパンデミックで世界の危機にはなっているかもしれないけど、わたしはただの福祉従事者で、彼はサラリーマン。これが看護師とコロナウイルスワクチン研究者とかなら話は変わっていたかもしれないな。

そんな大それた恋ではないのに、モードはすっかり悲劇のヒロインだ。

こんな風に大好きな恋愛小説を思い出して反芻しながら彼を思い出している時点で答えは決まっている。というかこういうことを書けば書くほど、自覚させられる気がする。

あー最悪だ。恋愛なんてするもんじゃないな。

みんなの世界

皆さん耳に胼胝ができるくらい(打ったら出てきたんだけどこれでたこって読むらしい)聞いたかと思いますが、聞いてくれてるとうれしいですが、わたしは福祉の仕事をしてます。

だからか、虐待や障害者雇用、差別なんかには人一倍敏感である自覚も、敏感でなくてはならないとも思っております。

そんなわたしが改めて、できるだけわかりやすくふくしってなんだろうって話したいと思います。

聞いてくれればもちろんうれしいし、わたしの頭の整理になればもっといいなとも思います。

 

まずふくしとは、しあわせゆたかさを表すことばです。

よく、わかりやすく伝えるためだんのらしのあわせなんて伝えることも多いです。

ごはんを食べて、お風呂に入って、お布団で寝る。

当たり前に安心できる家があって、居心地のよい人間関係が築けていること、当たり前に人間としての権利(=人権)を享受できること。

福祉って難しいとか、自分には関係ないとかよく思われる方多いと思います。

福祉=介護という方も多くて「福祉系の仕事?ああ、介護士」なんて言われることもしばしば。

なので、福祉ということを言うと「なんか大変そう」「困ってる人向けの」「高齢者でしょ?」「自分に関係ない」という方がとても多いような気がします。

ただ、わたしが福祉の仕事をしていて思うのは、ほんとうに明日は我が身だということ。

明日突然自分が、家族が、恋人が、友人が車に轢かれて半身麻痺になれば、もうそこから、あなたやあなたの大切な人は皆さんが言う「福祉の必要な人」です。

そうでなくても、長寿社会ニッポンで生きていく以上、70歳、80歳になっても生きていることも珍しくないです。70年も80年も同じ身体を使っていれば、足腰が立たなくなることもあるし、トイレだってできなくなるかもしれない。そしたら「福祉の必要な人」です。

コロナ渦の中で明日失業して、家もなくなるかもしれない。それももちろん「福祉の必要な人」です。

わたしたちは本当に危ういピアノ線一本の上に立っていて、いつでもそっち側(=福祉の必要な人)に行くことがあります。

それは、本人の意思でも、努力不足でもなくたまたまだったり、何かのせいにするとしたら環境のせいだったりすることが殆どではないでしょうか。

今の社会では、いい意味でも悪い意味でも、自己責任と言われます。

でも、ふとした拍子にあっち側に行ってしまったら?同じように自己責任という呪いを自身にもかけるのでしょうか?

そうなってしまったら、自分で助けて!ということも言えなくなってしまい、自分で自分を助けることもできなくなってしまいます。

他人に呪いをかけることは、自分に呪いをかけることにもなると思います。

明日から突然福祉の気持ちを持てとか、募金をしろとか、障害者に優しくしろって言っているわけではないんです。

ただ、興味を持ってください。関心を向けてください。どんなことが大変で、どんなことに困っているのか知ってください。

そして、自分自身が困っていることも発信して、他の人から受信した困っていることを自分にできる範囲で助けてあげてください。

他人ごと」を少しずつ「自分ごと」にしていけるようになれば、きっと社会全体もやさしくなるんじゃないかな。

色々と言いましたが、ふくしって、みんなが暮らしやすい世の中の事だと思います。

そのみんなは、仕事や身分、障害の有無や年齢、性別、肌の色や目の色、性的趣向も関係なく、日本に暮らす126,180,643人全員です。

もちろんこの記事を読んでくれているあなたもそうだよ。

あなたには幸せになる権利があるんだよ。

みんなが暮らしやすく、だんのらしのあわせを送ることが、ふくしの目標で、意味だと思っています。

きっときれいごとだとか、思う人もいると思います。みんなが暮らしやすい世の中なんて無理だと。

でも、世の中は確実に変わっています。昔なら見向きもされなかった、もみ消されていたいじめや、地下牢に閉じ込められていた障害者たちが問題視されました。

他にも、LGBT不妊症を題材にしたドラマが放映されたり、駅のバリアフリー化が進んでいます。みなさんの力で、みんなを指す範囲はとても広くなっています。

それは、ドラマの作成者や、駅を作る人、建築会社の人、いろんな人がみんなを知ったからだと思っています。

少しずつですが、着実に、世界は変わっていると思います。

もちろん人間には汚い部分もあるし、悲しい思いをすることもある。けれど、きれいごとを目指していくことって、とっても大切だとわたしは思います。

だから、みんながいることを、みんなで知っていこうね。

年齢の呪縛

小学生の頃から勉強はあまり得意じゃなかった。足し算まではできたけど、掛け算になると難しいから、暗記も最後までできなかったと思う。

逆上がりもできなかったし、もちろん倒立も最後までできなかったと思う。どんくさいうえにどんなに練習しても音楽会であこがれの木琴を担当することはできなかった。みんなの学校のあこがれの楽器はなんだった?教えてね

美術もへたくそで、図工も技術もだめ。

歴史の年号も、理科の暗記もできなかった。

それでも、先生から問題児として取り扱われたことがなかった(実は扱われてたのかも)のはきっと、通知表で唯一二重丸がついていた「誰とでも分け隔てなく仲良くできる」のお陰だと思う。

「誰とでも分け隔てなく仲良くできる」のは生まれつきの性分だったらしく、今でもその性分は変わらず、そのせいか年齢を超えた友人も多くなった。

中でも、今年33歳になる友人がいる。彼女も恋愛こじらせ仲間で、婚活の日々を重ねてはうまくいかないことを一緒に嘆いている。いつか尼寺に一緒に入ることになると思っている。

誕生日は一緒に遊ぼう、なんて話をしていたはいいものの、彼女の33歳になってしまうという呪縛は、話していて強く感じた。

会話の中でも、「30にもなってなにやってるんだ」「こんなはずじゃなかった」「みっともない」「イムリミット」と自分では笑いながら自虐的に言う。

わたしも少し前まではそうだった。人に言われて傷つくのも、傷つけられるのも嫌だったから、さも気にしていないかのようにわらっていた。だから、気持ちわかる。でもわたしもわらってしまう。どうするのが正解かもわからない。

そんな時にわたしが言われてハッとした友人の言葉がある。その友人は、絶対にいじられないタイプの人間で、人のことはいじるけど、自分は絶対いじられない。まじでずるいね。と笑うと彼はこういった。

「いじられても笑わないからね、俺。だからお前も嫌だったら笑わなくていいと思うよ」

この言葉にすごく救われた気がした。

友人にいじられるのは、いやではなかったし楽しいコミュニケーションの一環だと思っていた。

ただ、合コンなんかで即座におもしろ女を見破られていじられるのは、あまりいい気がしなかった。男の人は、おもしろい女とは付き合いたくないのは知っているから。その場では面白がれるかもしれないけれど、おもしろ女でいてもその後に繋がるわたしの欲しいものが手に入ったことはなかった。

だからその場で無理してわらうのをやめたら、いじられることもなくなったし、だから合コンでの勝率が上がったかと言われれば、それは皆さんご存知の通りかとも思うけど、それでも合コンの帰り道でひっそりと落ち込むことは減った。自分のことがすこしだけ好きになれた気がした。

33歳で彼氏がいなくても、恋愛を拗らせていても、あなたのことを大好きな人がいること、伝わればいいなと心の底から思う。お誕生日おめでとう。

 

HP回復ポイント

先のブログでも書いたように、少し恋愛関係で落ち込むことがありましたねえ。

落ち込みレベルを年下くん事件が10とするのであれば、たぶん1くらい。1は少なすぎかな。それでも2くらい。落ち込みはね。どちらかというと、恥ずかしい気持ちのほうが強い。ひとりではしゃいでしまったので。

わたし最近自分の習性に気づいたのだけれど、恋愛ですこしつらいことがあると、適当な男に端から連絡をして、適当にいちゃついてHPを回復するくせがある。最低すぎて草超えて森超えてモーリーファンタジー(後輩のギャルに教えて貰った)

寝落ち通話したり、それこそソフレと適当にいちゃついたり、恋愛の愚痴を色んな男にいったり。普通に考えて最低すぎておもろい。勘弁。

その適当な男のストック(まじで最低すぎて黙りたい)の中に、年下くんもソフレもいたのだけど、残念ながらわたしはわたしとセックスした男性は絶対に恋人ができるクソあげまんこなので、セックスをするとストック男子が減る。

ストック男子って言葉まじで最低きしょすぎてやばい。そういうこといってるから彼氏できないんだと思う。

1人の人間として男性を見ればいいだけな気がする。わたしは童貞嫌いで有名なのだけど、自分が童貞なのだと思う。女性を1人の人間以前に女性として見てしまうような。だから、同族嫌悪。

そんなことはどうでもよくて、まあわたしも自分のきしょさには納得しながらもじわじわとHPを回復させている。

あれ?会ったことあるっけ?ってレベルでどこで知り合ったかも覚えていない10年来の男友達。かわいいね、とか好きだよ、とか息を吐くように言ってくるくせに絶対付き合おうとは言わない。これはこれでお互い都合よく扱っているんだと思う。

ただ、やっぱりそんな風にHP回復のために毎日電話なりなんなりをしていると、いやでも意識してしまう。

最近は生活時間もすれ違っていて、わたしが寝る前に電話をしても出なくて、起きたら着信履歴が残っているような関係。でもわたしはその着信履歴がうれしい。ちょろすぎでしょ。

ただ、彼は基本的に酔っぱらったときとか、自分の都合のいい時間にしか電話をかけてこないし、わたしのことを好きであることも、きっと好きになる気もない。

これまでの他の人たちみたいに、彼女ができて、わたしのもとから去っていくんだと思う。そう考えたら結構落ち込んできたな。

こうやってふつうに思い出す時間がどんどん増えて行くにつれて、ああ好きなのかも、とか考える時間が増えて、毎回毎回、これが…恋…?なんて勘違いをしていく。いい加減あほらしくてわらえてくる。

ただわたしが好きになってもいいこと、正直何一つないので、絶対この人のことは好きにならないと思う。

絶対好きにならないなんて逆にフラグだよね。フラグってもう死語?伝わる?

でもわたし、正直ちょろい女だし、この人の思わせぶりな態度に何度も恋に落ちてる。逆にロマンチック。

でもそのたびこの人、しれっと彼女作ってる気がする。いい加減落ち込んできたな。わたしは愛とか恋とか関係なしに大好きなのにな。

うわ、書けば書くほどドツボにはまる気がする。もうやめよう。

不毛な恋はしない。わたしのことを好きにならない人との恋はしないってもう決めたので。

ここ最近の事情

Twitterでのつぶやきだけだとどうしても語感の強さだったり、キャッチーな雰囲気を出したいがために、本当に伝えたいこととかけ離れてしまうことがあるような気がする。しんぱい。

みなさんとてもお優しいお気持ちを持った方ばかりなので、わたしがかなしかったり、つらかったりするととっても寄り添ってくれる。ありがとう。

ただ、ここ最近の悲しいことは、だれがわるいものでもないので、そこで相手の方の批判なんかをされるとすこしかなしいきもちになってしまう。

なのでここ最近の事情とりあえずまとめてみる。

①合コンで出会った彼が友人といい感じらしい

②悲しむがしかし、わたしの価値は変わらないと持ち直すワイ

③適当な男と電話でイチャついてHP回復

現在③におります。

①については、合コンで前も話したように、デートの予定をこぎつけたはいいものの、コロナ影響でデートが中止になっていた彼だ。

合コン中から友人はその人のことを完全に狙っている様子もつかめていたし、ただそのうえで彼女に「誰かと連絡してる?」なんて根回しをしてから連絡したつもりではあった。

その時点で合コンから2週間近く経っていたころだったし、まさかそのあとに距離を詰めるなんて思ってもみなかった。

人間関係は不思議ですね。

ただ不思議と今までみたいに死ぬほど病むっていうのはなくて、正直年下くんに彼女が出来た時に比べたら本当にショックだな〜程度で済んでいるんだと思う。

あとは恥ずかしいっていう感情が強い。あんなに1人ではしゃいでいたのに、恥ずかしい。

それに、恋に破れたところで、やっぱりわたしの価値はわたしにしか高められないし、その価値を決めるのもやっぱりわたしだ。

わたしを選ばなかった人が下すわたしの価値なんて意味がない。そんなわけないじゃんって思うでしょ?結構ガチで思ってるからね。すごくない?わたしが一番びっくりしてるから。

だって他人の考え、決めたことをわたしが変えられるわけじゃないし、そんなことで悩むのはもう、やめたの。

だから相手の男性もどうかと思う...とかその子もどうなの...とか、悲しいこと言うのはやめてね。わたしのために言ってくれるのはわかるけど、あくまでも彼らの選択をたまたまわたしが喜ばなかっただけだよ。でも、ありがとう。

③についてはまた話すね。

ただ、嬉しそうに彼のことを話す友人の顔見たときの青ざめるような感覚は、まだまだ忘れられそうにないなあ。みんな、ありがとうね。

みにくいじぶん

醜いっていう字、なんか字面がかなしすぎて、書いてるとかなしいきもちになるね。

でもひらがなにすると少しだけ、みにくいあひるの子っぽくて、いつか白鳥になれるんじゃないかって気がしてくるね。

そんな感じで、字面で見たやさしさとか、柔らかさとかでわたしはわりと文章を変えている。

やさしいはひらがなのほうがやさしそうだし、柔らかいは漢字のほうがちょうどいい気がする。やわらかいのほうはきもちの話なきがする。

まあすごい適当だけど。

そんなことはどうでもいいんだけど。

友人に彼氏ができた。まあ時間の問題だと思っていたので、特にびっくりもしなかった。

ただ、前のように彼女と付き合えるかと言われたら、そうではなかった。

彼氏、及びいい感じの彼ができる前はよく電話もしていたし、双方の家に行って遊んだりもしていた。本当に、毎週のようにだ。

ただ、彼氏やいい感じの彼ができたとなれば話は別だ。

彼女自身はなにも変わらないのに、わたしの気持ちが変わってしまった。

電話も、お泊まりも、じゃあ彼氏とすればいいじゃん。なんて思ってしまう。

彼氏ができたのが妬ましいのか、さびしいのか、正直独占欲を湧かせるほど仲のいい友人ではないと思う。

わたしのみにくい感情のひとつなんだろう。

それとも、彼氏ができたら友人はいらないと自分自身が思っているからこそ、友人に彼氏ができると、自分の存在が全否定されたような気持ちになるのだろうか。

掘り進めれば掘り進めただけ、自分のみにくい恋愛感や見せたくないものばかりがみえてくる。

いやだけどじぶんはじぶんだからね。受け入れていこうな。