彼氏がいないことより怖いこと

Twitterで数々のこじらせっぷりを披露してきたし、酔っぱらって電話をしてくる男に恋をしかけているというような話もしたけど、最近は本当に彼氏がいなくてもいいや…モードに入っています。まあ彼氏いなくてもいいやモードと恋に落ちるかどうかは別だったりもする。

そもそもわたし本当にかわいくも綺麗でもないし、スタイルがいいわけでもなくて、世の中の女子の中だったらどんなに多く見積もっても下の中。

自分の顔面で誇れることと言えば、凸凹したニキビ跡がない肌(さりとて特別綺麗なわけではない)とヒマワリの種のような歯並び程度。

それでも、目がでかくて鼻も口も顔も小さい女の子が持っている最強装備に比べたらこんぼうとぬののふくくらいの装備でしかない。

もうここ数年は自分の見た目を磨くことに注力して、他の事は考えないこととした。

たぶん、もう少しかわいくなれば、恋愛も、もう少しうまくいく気がする。

少なくとも、マッチングアプリで盛り上がった人に会うのが怖くなくなる。そんな簡単にいくはずがないこともわかっているけど、自分の見た目にハンデがあることを言い訳にして生きるくらいなら、いっそのこと一度必死こいて自分で磨き上げてみてから他人のことを考えても遅くないと、不思議なことに心の底から思えている。

ただ一つ、わたしの周りにもそろそろ第1次結婚ラッシュがもうそこまで来ている。

だいたい第1次結婚ラッシュって、高卒~短大卒の子が学生時代からの彼氏と順風満帆に結婚するイメージ。

わたしの周りは殆ど中学時代からの友達含めて4大卒の友人が多いし、特別仲のいい先輩も多いわけじゃない。ゆえにまだまだ結婚式にお呼ばれされるようなこともなく、まだまだ他人事感が強いが、もう次のラッシュに備えて恋人がいる人が大変増えてきているように感じる。

周りの友人たちが男友達も含めて、あたりまえのように安定した恋人がいる。学生の頃のような劇的な恋じゃなくて、お互いを尊重し合って大事にできるような恋人関係を築いている。

学生の頃は彼氏がいればそれだけでリア充~!なんて冷やかして、恋人がいない方が少数派だったし、彼氏の話題は非日常の類だった。

所がいまはどうだろう。彼氏がいる方が日常で、彼氏のいない方が非日常なのだ。彼氏がいることがまわりにとってのあたりまえになっている。

新社会人ちゃんは彼氏…あ、今はいらないんだっけ(^^;

こんなふうにみんなの日常会話についていけなくなる未来が見えることが今はしんどいしとてもこわい。

まあわたしの趣味は捕らぬ狸の皮算用なので、取り越し苦労にすぎることを祈っている。

酔っぱらって連絡をしてくる男は信じてはいけない

も~~~~~~~~やだよ~~~~~~~~~~

昔に比べると、自分に自信をもって生きることが出来るようになったと思う。今の自分の事が、わたしは案外好きだ。そう言えることが何よりもうれしいように思う。

だからもう、自分を雑に扱う男には絶対ハマらないと思っていた。

それなのにさ~~~~~~~~~~~~!!!

どんなに自分に自信がついて、毎日楽しく生活できているとしても、やっぱり恋愛経験の薄さは一瞬にしてどうにかなるものではなかった。

先日のブログでも書いたように、わたしは多くの恋愛経験がある男性が息を吐くようにささやく言葉の数々に参ってしまう。

「おれは新社会人のことかわいいと思ってるよ」「ふつうに好きだし」「もっと自分のこと大事にしなよ」甘い言葉なのかはわからないけれど、向こうもたぶらかしモードに入っていることは見て取れる。

確かに古い仲だし信用はしているけど、古い仲だからこそ、この人に絶対に恋心を抱きたくないとばかり思っている。最近の恋愛についてうだうだいうブログ記事は全部そんなことばかり書いている。

ただ、彼は結局色々なことを言ってくるくせに、酔っぱらったときにしか連絡をしてこない。

その時点で彼の本気度はそういうことなんだと思う。すこし恋愛経験のない女を捕まえて、思ってもないことをぽんぽんと言って惚れさせて、ちょっといい気分に浸る。

客観的に言葉にするとすごくいやな感じだけど、実際にそういう人もたくさんいるしそういう人もたくさん見てきた。残念だけど例にもれず彼もきっとそうだ。本気になるだけ、ばかをみる。

書けば書くほど切なくなってる時点ではまってはいるのだろう。

自己肯定感上がったし、自分を大切にしない男を好きになる価値はないと思う!✨とか言ってたし思ってたのに。

熱に浮かされて行動にしていないだけ、まだ成長したのかもしれない。

けど、彼から連絡がない1週間はやたらと長くて嫌になる。勘弁してくれ。まるで恋してるみたいじゃん。

継続は力なり

継続は力なり。

ということで、どんな小さいことでも決めたことはなんとかがんばって(ゆるゆると)続けることを意識して生活し始めてから半年ほど経った。

色々なことは決めてみたものの、三日坊主が一週間坊主になって、今はちょうど三か月坊主くらいにはなっています。中々習慣にするということはむずかしい。

このブログを始めたのはちょうど3月からだから、3月から今月で4か月め。毎日(平日)更新を決めてから、概ねなんとか続けられている。

というのも、はてなブログの制度として、はてなスターを付けていただけたり、おすすめブログに定期的に紹介されたりとモチベーションが定期的に上がるようにできてるような気がする。人間にとっての一番の報酬はやはり人からの評価なのだと感じる。

そんなわけでダイエットはなかなか続かないけど、ブログはなんとか続いているわけですが、最近また別の試みを始めてみました。ツイキャスによる毎日(平日)10分配信。もともと話すが好きで、学生の頃ラジオパーソナリティのバイトをしていた経験もあるので、兎に角しゃべるのは好き。文章を書くより好きかもしれない。

ただ、バイトをしていた当時ならかなりトーク回しにも自信があったが、久々にメディア向けの仕事をしたときに、全くしゃべれなくなってしまい、正直落ち込んだ。

口と脳の回路がうまくつながらず、スムーズに言葉が出てこない。

1人暮らしを始めて昔よりも会話が減ったせいなのか、職場の関係がよくなり、あまり緊張せずに会話をしているせいか「あれ」を乱用するようになった。

そんなわけで、トークの練習としてもツイキャス配信を始めた。

ツイキャスの制度についてはイマイチわかっていないが(おそらく10分で終わらせるものではない)自分の練習として話していると、1~2名ほど毎回聞いてくださる方もいらっしゃり、とても気分よく続けている。先週一週間なんとか続けることができたので、これからもなんとか頑張っていきたい。

よければ見に来ていただけたらとてもうれしいです。

ここが一番安全な場所だよ

みんな7月17日に公開した映画「劇場」みた?!見たかな!?

又吉直樹原作の「劇場」という映画がアマゾンプライムでの配信と、映画館での公開を同時に行うという初の試みで公開初日に見に行きました。

かなり公開日から日にちが浅いので、あまり詳しい内容に触れることは避けますが、見る予定で、ネタバレとか嫌だよ~~~~って人は読まないことをおすすめします。

今回のブログは本当に見てほしいっていうきもちと、なんでこんなにおもしろかった~~~!!って思ってるのかを確認する記事です。おもしろかった~~~~!!!

あまり小説などを沢山読むほうではなくて、どちらかというと、映画やドラマなんかの映像作品が好き。又吉さんの作品はそんなわたしも読めた…!とかではなく、大変申し訳ないのだけれど、ふつうに火花とか映画しか見てない。映画、めちゃくちゃ好きだ。

又吉さんが書いた火花は、そもそもお笑い芸人の話なのだけれど、お笑い芸人であるが、それ以前に人間という感じがして、ハッピーエンドでもなければバッドエンドでもない。

たまたまお笑い芸人という人生を選んだ人間の人生のワンシーンを切り取ったような作品で、人間の人生はどんなことがあっても続いていくのだということを示しているようだった。

今回の劇場もまさにそれで、まだ1度見ただけなので、詳しく時間の流れなどを把握しきれているわけではないのだけれど、二人の男女の、二人が二人で出会ってから、別れるまでの間を書いたよくある話といえばよくある物語だ。

ヒモ男と共依存に落ちていく女というような話にもとれるかもしれないけれど、主人公の心理描写がとてもこまやかで繊細だった。

よくいるステレオタイプのクズ男が案外こんなことを考えているのかと思ったら不思議な気持ちになった。

クズ男やヒモと付き合う女の子に、そんな男君の事愛してないからやめなさいとか、わたしは簡単に言ってしまうけど、この映画の中で語られる男が彼女を愛してないかと言われればそういうわけではなさそうで、ただ、彼女を愛するのに必要なだけの心の余裕と、自分のプライドと、羨望とでぐちゃぐちゃになっているように見えた。

松岡茉優ちゃんはとってもかわいくて天真爛漫で純粋無垢なヒロインをすごく素敵に演じていて、さわやかな少女漫画のイケメンキャラしかやらないと思っていた山﨑賢人は最後のスタッフロールを見るまで彼だということに気づくことが出来ないくらいに役にはまり込んでいた。

冒頭でも話したように火花と同様にすっきりする終わり方のわかりやすいハッピーエンドみたいなものではなかったかもしれないけれど、わたしはこの映画を見てもやもやとする時間がとても好きだ。

みんな見て~~~!!!おもしろかったから~~~!!!

こういうところ見せないように頑張ってたんだけどな

「こういうところ見せないように頑張ってたんだけどな」

酔っぱらった彼が電話口でそう言った瞬間胸が高鳴った。わたしはこういった少女漫画的な言葉にめっぽう弱い。

ほかにも婚約が決まった男が酔っぱらって「俺、今なら誰とキスしてもいいと思ってる」と言ってキスをしてきた。えっちすぎる。少コミで見たやつだ。インスタのCMに出てくるえっちな漫画のせりふだ。

普通に倫理的に最低なことをしているのに「えっちだな~」と受け入れるわたしも中々どうして頭がおかしい。

なんでこんなに少女漫画とかレディコミに出てきそうな台詞をポロっと口をついて出るんだろうか。逆にすごい。

そしてわたしはそういうせりふにまんまと騙されてしまう。ちくしょ~~~~!!

わたしはこれまで色恋沙汰にはかなり疎くて、本当にまともな恋愛はしてきていないと思う。歴代彼氏何人?とか聞かれると一気に声が小さくなる。

だからこそ、そういうベタなせりふや言葉に惑わされがちなんだけど、恋愛経験がたくさんあればこういう言葉には惑わされなくなるんだろうか。百戦錬磨の人がいたら教えてほしい。

まあでも、「会いたい」とか「好き」とかいいながら全く会いに来なかったり、連絡をしてこない人はもう信用しないことにしているし、昔に比べたらきっとちょろさは薄まっているはずだ。

あ。もしかして、言葉よりも行動や、見えづらい所にきゅんと来るようになったら幸せへの近道なのかもしれない。

32歳腐女子さんのはなし

他人の価値観や考え方にあまりケチはつけないようにしているし、誰にケチをつけられるものではない。

ただ、ふつうとか一般的とかそういうものがあるっていうのは、まあある程度みんな思い至るところだからその辺の集合地点がふつうとか一般的って呼ばれるのかなとも思う。

ただ、ふつうとか一般的とかいう言葉がわたしはあまり好きではなくて、できるだけ使いたくない。特に他人の人生に口出しするときは。

「それくらいふつうに考えればわかるでしょ」「一般的に」「ふつう」「みんなそうだよ」それらの言葉は言っているときは正直気持ちがいいし、自分が正義の味方になったかのような気分にしてくれる。

でも、それが自分に向けられた時固く鋭い刃になる。

だからできるだけ「ふつう」「一般的」という言葉はつかわないようにしている。

そんな中、ちょっと話題になっている記事を発見した。

32歳腐女子自分の子供っぽさに気づいて恥ずかしくなる

匿名のはてなダイアリーに投稿されたもので、32歳の腐女子が久々に同世代の友人と会ったら、自分の子供っぽさ(服装、テンション、お金の使い方等)に恥ずかしくなるという話だ。

わたしはあっち側なのか、そっち側なのかという不安と、自分にも身に覚えがあった。

わたしはとりあえず今の仕事は時間もお給料も安定した仕事で、正社員として働いている。社会人としての生活も落ち着いてきて、恋愛をこじらせてはいるが、なんとか暮らしている。

「一般的」な25歳(もうアラサーの仲間入りだ)はどんな風かと言われれば、最近は結婚の波が襲ってきていたり、まあ楽しく仕事をしていたりという事が多い。

18歳で大学に入学、22で卒業。若しくは高校卒業から数えれば7年、3年も社会人をすれば、かなり生活も落ち着いて、彼がいれば結婚や子育てなど次のライフステージに移ってもおかしくない頃だと思う。

貯金やお金の使い方にもある程度余裕が生まれてきて、自分に投資したり、少し高い買い物をしたり、趣味を楽しむのも今の特権かもしれない。

あたりまえのことだけれど、ライフステージが変われば、お金の使い方、生活、大切なもの、価値観はもちろん変わっていくし、それに合わせて、友人なども変わっていくことも多いとおもう。

それでも長く続く友人がいたりするのは、きっと同じように変わっているからだと思う。

同じタイミングでライフステージを歩んでいけば、少しのズレがあったとしても同じようなタイミングで同じような悩みなどを共感することができる。

どんなに大切な趣味があっていても、そこへの熱意や燃え方は変わっていくものだし、それは大切なものが増えれば増えるほど、どんなに好きでもそれは仕方がないことだと思う。

いくら大好きなアーティストのライブで、外したことがないとしても、出産した次の日にライブに行くことはできない。

わたしも、学生から社会人となり、週に5日間8時間、出勤して仕事をしている。

確かにそんなに大変な仕事でもないし、まだ働き始めて少ししかたっていないし、重たい責任はのしかかってはいないが、それでも、学生の頃とはえらい違いである。

 

色々と感じる事はあるけれど、責任が兎に角ついてまわるということだ。仕事も、人間関係も、重荷となっていく。

また、1人暮らしを始めて、学生の頃のように好きな物に好きなだけお金を掛けられるわけでもなければ、貯蓄のこと、保険のこと、個人年金のこと、自分の事だけじゃなく親やきょうだいのこと、奨学金のこと。考えなくてはならないことがたくさんある。

だから昔ほど恋愛だけ、趣味だけ、楽しいことだけに時間やお金を費やしてもいられない。

わたしがこの話を読んで思ったのが、学生の頃からの友人の事だ。彼女とは学生の頃から趣味が合って、紆余曲折あったが今でも何かと連絡を取り合う仲ではある。

彼女との関係に陰りが見え始めたのはわたしが社会人になったころからだ。

学生の頃に比べて、もちろんだけど生活も考え方も変わる。年齢は1つ上なのに、正社員として働くのは嫌だとか、目標の為になどと理由を付けては仕事を辞めて、結局水商売をしながら親族の支援を受けて生活をしている彼女を見てイライラしてしまうようになった。

正直うらやましいのだと思う。仕事をしなくても、好きな事だけをして(いるように見える)ボーっと生きていける彼女のことが。

彼が出張だと言えば、自腹で新幹線に乗りホテルを取って、出張先で仕事が終わるのを待つ。そんな彼女を彼が死ぬほど愛しているのかと言われればそうでもない。ずっと一緒にいたい気持ちはわかる。けれどふつうの社会人をしていたらそんなことはできない。時間も、お金も無駄にしているようにしか見えない。

彼女は想像するような水商売の派手なタイプではないし、堅実な人でしっかり貯蓄もあって、資格勉強していたことも知っている。

今年でわたしと同じくアラサーの仲間入りした彼女が、学生を卒業してからの10年近くの空白期間があることに不安がないのか、親族からの支援を受けられなくなったらどうするのか、水商売も一生やっていける仕事なのかと実際自分がその立場だった場合に心配になることを口うるさく言ってしまう。

自分だって彼女との違いは正社員として仕事をしているくらいで、落ち着きはないし、お金の使い方だって粗雑だ。

32歳腐女子さんのような生き方や生活を否定するわけではもちろんないし、誰かの生き方を否定することは、自分の生き方を否定することにもつながりかねない。だから、したくないのだけれど、色々言ってしまう気持ちもわかる。

わたしが何をあげられるんだろう。

彼氏が欲しいとか、好きな人に好きになって欲しいとか、色々言ってはきたけれど、考えに考えすぎて、彼氏とか恋愛とか、イマイチよくわからなくなってきた。

そもそもなんで恋人を作るのかとか。恋愛は独占欲と性欲が合わさったものだと思っていたけれど、そもそもなぜ独占欲が発生するのかと言われれば、人間なのだから、自分へのメリットがないとそもそも独占したいとも好きだとも思わないはずだ。

その代表格が、自分が一緒にいて楽しいとか、特別な気持ちになれるとか、そういうところだろう。

恋を始めたてのわたしは、それがよくわからなくて、恋人は自分の弱い所をすべて面倒みてくれるのかと勘違いしていた。

今考えると本当に最低すぎる。寂しいのも悲しいのも、メンヘラなのもすべて自分が原因なのに、それをすべて恋人に明け渡して、幸せにしてくれと全身で寄りかかっていた。

そんな重荷になるだけの恋人なんていらないし、嫌になって当然だと思う。

それを自覚したはいいものの、わたしはわからないのだ。

わたしが何をあげられるのか。

わたしがわたしの好きな人のために何をしてあげられるんだろう。わたしにはそれがわからない。一緒にいて楽しい?そんなの相手にしかわからない。特別楽しませることもできなければ、養えるほどの財力があるわけでもないし、一緒にいてすべて帳消しになるほどかわいいわけでもない。

わたしには何があげられるんだろうか。